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識者・応援団からのメッセージ

金澤翔子さん・泰子さんからのメッセージ

絶望の淵から始まった子育て。
書を始めたことで

生きる希望が持てた。

 

金澤翔子(かなざわしょうこ)さん

ダウン症の女流書家。1985年、東京都生まれ。5歳から母・金澤蘭凰に師事。2005年、初の個展「翔子 書の世界」を銀座書廊にて主催。2009年には京都・建仁寺にて個展を開催し、「風神雷神」を奉納。2010年にも建長寺、建仁寺で個展を開催。


金澤泰子(かなざわやすこ)さん

母・女流書家。明治大学在学中に歌人・馬場あき子に師事。書道「学書院」の柳田泰雲に師事。1990年、東京・大田区に久が原書道教室を開設。

「書」を通じて世界を広げたい」 母の願いが書を始めるきっかけ

 翔子が書と出合ったのは、5歳のとき。
筆を持ち、楷書の練習を始めました。私自身、永く書に携わっており、ベビーベッドで眠る翔子の隣で寝息をBGMに書をしたため……なんてこともありました。そう考えると、翔子と書との出合いは生まれた時から。いつも翔子のすぐそばに「書」があったことになりますね。
 翔子が書を始めたのは、「友だちづくりのため」。そして「孤独の時間を楽しめる趣味をもってほしい」という、私のささやかな2つの願いがきっかけでした。
 「翔子に友だちをつくりたい。ならば家に友だちを招いて、私が先生になって一緒にお習字ができるようにしよう」と思い、自宅に久が原書道教室を開設。わが家のリビングに翔子とお友だち2人が集まり、私が教えるという小さな教室を始めました。
 私が書家だったという偶然から始めた書道でしたが、翔子の性にぴったり合ったのでしょう。一度もいやがったり、あきらめたりすることなく、今も変わらず書に取り組み続けています。書と向き合う翔子の真剣な眼を見るたび、「翔子と書との出合いは必然」と感じ、出合いの妙に感謝せずにはいられなくなるのです。

  今は翔子も教室で先生として生徒さんに教えているのですが、教え方が上手だと評判なんです。翔子は子どもの頃から、小さな子たちと遊ぶのが大好きだったようで、近所の児童館にもよく通っていました。つい最近まで「児童館の先生になりたい」って言っていたくらい。私自身も職員さんに子育ての悩みを聞いていただいたりして、たいへんお世話になりました。私たち親子にとって児童館は、人と人とのふれあいを楽しめる空間の一つになっていたと思います。


ダウン症を認めるまでの葛藤の日々

 大きな個展や席上揮毫の成功、翔子の書を賞賛くださる皆さまとの出会い……
 これらの事実だけを並べれば、翔子の子育ては順風満帆、サクセスストーリーを思い浮かべる方がほとんどだと思います。でも、初めからこのような、心穏やかな日々を過ごせたわけではありません。
 今から25年前、産婦人科の医師から「知能がまったくなく、寝たきり」と宣告され、地獄の底にたたきつけられたような気分を味わいました。本当なら、待望のわが子を授かって、世界一幸せな気分に浸れたはずなのに……。「なぜ、わが子がダウン症なのか。悪い夢なら覚めてほしい」と叫び、悩み、苦しみ、錯乱し、翔子がダウン症であることを受け止められずにいました。
 友人たちは「その苦しみに耐えうる人に、神様は障害児を授けるのよ」と慰めてくれました。その言葉、励ましは本当にありがたかったけれど、「障害児を生んだことに耐えられる母親なんていない」という気持ちも強くて。まさに地の底を這い続けるような、先に光がまったく見えない日々を過ごしていました。
 出産から数か月が経ち、翔子はゆっくりゆっくり育っていきました。弱々しいけれど泣いたり、にっこり笑ったり。けがれのない笑顔は、さながら天使のよう! 言葉では表現できないほどの愛らしさでした。翔子の生きようとする姿、生命力を間近に感じ、少しずつ私の気持ちも立ち直っていきました。
 また、姉から「ダウン症で医師になった人がいる」という話を聞いたのも、ちょうどそのころ。この話を聞いたとき、「この子にも可能性があるかもしれない」と思い、真っ暗闇にひとすじの希望の光が差したように感じて。「天使のような翔子。こんなに可愛いのだもの、少しぐらい人と違っていてもいいじゃない」と、翔子の存在をありのまま受け止め、翔子のためにがんばろうと立ち上がることができました。ダウン症の医師の話はどうも真実ではなかったようですが、私にとっては希望をもらえた、ステキなウソ話でした。

 

 

子育てに必要なのは「希望」

 今、出産当時を思い返してみると、なぜあれほどまでに嘆いたのか、自分のことながらよくわからず、不可思議に感じます。
 何がつらかったのか――改めて考えてみたときに思い至ったのが「希望がなかったから」という結論でした。自分の思うような子どもではなかったことで、私の子育ては、希望のまったく見えない状態から始まりました。でも、ひとすじの光「希望」を得たことで、絶望の淵から立ち上がることができ、今があるのです。
 健常児であっても、障害児であっても、子どもの未来に闇しか見えないのでは、親に子育てへのパワーは満ちてきませんし、子育て自体をつらく感じてしまうこともでてくるでしょう。でも、どんなに小さくても「希望」が抱けるようになれば――私が地の底から再生できたように――きっと前向きに子育てに取り組めるようになる。だから、子育てに何よりも必要なのは「希望」だと思ったのです。
 書家として歩き始めた翔子は、これからも書を書き続けるでしょう。私も変わらずに、書家・翔子の師として、そして母として、彼女を支え続ける。その一方で、子育てのつらさを吐露できないお母様・お父様の力になりたいという思いが強まっています。今、私たちが穏やかな時を過ごせるのも、いろいろな方たちの支えの中で「希望」と出合えたから。これからは、一人でも多くの方が「希望」や「夢」を見つけられるよう、お手伝いをしていきたい。「子どもはいろいろな可能性を秘めているのよ」と伝えていきたいですね。翔子の元気な姿をお見せすること、私の子育てのすべてを伝えること――それが私の使命。新たなライフワークの始まりに身の引き締まる思いでいます。

 

(情報誌「じどうかん」2010冬号より)


お知らせ

泰子さんが翔子さんとの日々をまとめた著書が発売されています。どうぞご覧いただき、お二人の活動を感じていただけたらと思います。

『天使の正体』 かまくら春秋社








『天使がこの世に降り立てば』 かまくら春秋社

 

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